稲刈りの季節

 





過去のイラストシリーズ①
田んぼの稲刈り(2017.9)

ふたつき農園は2019年を最後に田んぼはやっていません。私の出産育児に伴い中止したものがたくさんあります。
稲作は是非またいつか始めたいと思っていることの一つです。
日本人たるもの、コメは自給したい。自給自足が趣味の私はそう思っています。

このイラストは、当時住まわせていただいていた集落での稲刈りのやり方を描いてみたものです。小谷村付近はどこでも大体こんなものじゃないかと思います。
はざの段数は3段が多いと書いていますが間違いで、ほとんど4段です。
私の過去の田んぼのように収量が少ないと3段で済ますこともあります。
多いと、本当に10段や12段やります。その場合は樹などに棒をくくりつけて組み立て、稲の束を下から投げ上げるそうです。

今でこそ田んぼは広く作業しやすい所に残っていますが、昔は少しでもスペースがあれば田んぼにしていたので、山の中の田んぼも多く、はざを組み立てるスペースがないこともしばしば。そんな時は、刈った稲の束を背負って山を降り、集落に持ち帰ってはざがけしたそうです。とんでもない労働力。しかし、家族全員しいては集落全員が飢えることなく食べていくためには必要な労働でした。
当時は食べるために働いていたのだと思います。

今は、巨大な重機で基盤整備をし、稲刈りから脱穀までできる大型コンバインが入れるようになった広大な田んぼがたくさんあります。
米作り以外のいろんな場面で同じようなことが当てはまると思います。現代は、そうしたことで労働量を減らすことができ、空いた時間で、食べるためだけではなく、自分の生きる意味や人生の充実感を求めて働くことができるようになってきました。経済が発展し、豊かな(選択肢が多い)生活を送ることができるようになったことは本当に素晴らしいことだと思います。

一方で小谷のように(小谷でも大型コンバインが入れる広い田んぼはありますが)はさがけを続けているところは、そんなに広く整備できなかったためにまだ昔からのやり方をしているということです。重労働から、どんどん昔ながらはさがけをする田んぼは減っていき、耕作放棄地になっていきます。昔からの田んぼにしか残っていない絶滅危惧の植物や昆虫たちもどんどん絶滅していきます。
これをどう受け止めるのか、私はずっと考えています。
昔の文化や生態系が廃れると嘆くのか、非効率なやり方は廃れて仕方ないと諦めるのか。

ひとつだけ言えるのは、他に大規模農業がしやすい、ただっ広い土地はたくさんあるのに、私はわざわざ山あいにあるはざがけを続けざるを得ない田んぼの元へやってきた(やって来れた)、しかもそこに6年も住み続けられているということです。
田んぼ一枚やるだけでも(しかも無農薬だとことさら)重労働で体が追いつかないのに、もう一度田んぼを始めたいと考えるということです。
生きていくためには効率化や進化が必須ですが、(現代から見ると)非効率な昔からのやり方にも価値はあります。そんな非効率な方を選択する自由があるのも、現代社会の恩恵を受けているからだと思います(例えばネット環境や物流など)。そう思うと、やはり進化は避けて通れない道だと思うのです。
私が今いる環境は、一昔前の時代に似ていても、この社会の発展に支えられているからこそあるのだと思います。

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